24『作戦、始動』



 彼は夢を持っていた。
 夢を叶えるために、彼は私を頼ってきた。
 私は彼の夢を繋げてあげた。

 私の夢は彼の夢が叶う事と同義だった。
 だから、私の夢の為にも、彼の夢を続けさせた。

 ところが、彼は夢に死に、彼の夢は潰れてしまった。
 私はまだ生きており、私の夢だけ残された。

 私の夢を続けると、彼等の夢が潰れてしまう。
 私が夢を諦めても、彼等の夢は潰れてしまう。

 この悪夢の鎖は、叶う事でしか断ち切れない。



「リクッ、返事せえや!」
「リク様っ、お願いします! 目を覚まして下さい!」

 運ばれていく担架の両脇から、カーエスとジェシカが大声で呼び掛ける。フィラレスは今にも顔色を失い、泣きそうな表情で、ミルドも心配そうな表情をリクに向けている。
 その中で、ティタは唯一、冷静な顔で苦痛に喘ぐリクの顔を見つめ続けていた。おそらく、自分の顔は薄情に見えるだろう。実際、彼女の心の中を満たしているのは、その表情に程近い、失望と言う感情だった。

 -------俺は、諦めませんよ。何度でも来ます。これ以外の夢は見られないから。

 夢破れ、今は亡き青年魔導士の姿が脳裏に蘇る。
 昨日、エスタームトレイルが終わった時に見せたリクの眼。あれを見た時から、彼の姿が頭から離れない。
 あまりに、似過ぎていた。
 今まで、何人もの男がその壮大な夢を持ってティタの元を訪れたが、あの眼をしていたのは、今まではその青年魔導士だけだ。

 そして昨日、ティタは再び、あの青年魔導士と同じ、夢に輝く瞳を見た。
 実力的にもかなり似通っている。彼も、極限まで難易度を上げたエスタームトレイルをクリアしたものだ。今日、彼に同じ試験を課したのも、彼との比較をするためだ。
 だが、彼女は今、それを悔やんでいる。何より、あの瞳を見るべきではなかった。どうやらあの手の瞳は人に無条件で期待を抱かせるものらしい。この眼の主なら、何かができるかもしれない。集めたデータがどれだけそれを否定しても、そう思ってしまうのだ。

 リクにも同じような感情を抱いた。しかし、それは思っても見なかった形で裏切られようとしている。
 どうしてこのような危険な状態に陥っているのかは定かではないが、今彼が“大いなる魔法”に挑戦しようとする前に死にかけているのは事実だ。瞳に見せられて、期待感を抱いた心が、今は、全く反対の言葉を囁いている。
 彼は、結局ここまでの男だったのか、と。

 -------アンタが息子の馬鹿な夢を指示しなければ、あの子は死ぬ事もなかった。“大いなる魔法”じゃない、アンタがうちの息子を殺したんだ!

 かの青年魔導士の姿と共に、後にティタを糾弾した彼の両親の声が耳に蘇る。
 その時に、彼女は気付いた。おそらく、彼女自身も夢を見ていた事を。自分が与えた知識を手に、“大いなる魔法”を手に入れ、自分の元に報告に戻ってくるという夢を。
 リクに“大いなる魔法”について、教えてくれるように頼まれた時、ティタは情報を公開しない理由として、もう二度と夢を潰えさせないためだと答えた。それは、自分の夢の事も含んでいたのだ。

 彼等の夢は自分の夢だった。だから、それを潰えさせるのが怖くなったのだ。

 昨日、リクの眼を見てしまった事で、彼女は再び夢を思い出してしまった。
 だが、思い出し、再び褪せる前に、その夢はまた潰れようとしている。

「ティタ、大丈夫? 顔色悪いよ」

 心配そうに覗き込んでくるミルドの声に、ティタは現実に引き戻された。
 リクを載せた担架はもうすぐ研究所にある医務室に到着しようとしているところだ。

「いや、大丈夫だよ、あたしは。それより心配しなきゃいけないのはあっちだよ」

 そう答えて、彼女はリクに視線を投げる。
 リクは、たった今、魔導医師の待機する医務室に担ぎ込まれたところだった。


   *****************************


 研究には実験が付き物である。そして、それは時々、危険なものである。実際、リク達が研究所に付いた日、ティタが行っていた《甲殻に護られし者》に関する実験も、“孤立する日”に伴うクリーチャーの暴走という事故が起こった。
 もちろん実験をするための施設にも幾重もの安全措置が施されているが、実際、ティタの実験の場合は、処理が間に合わず、リク達がいなければ小さくはない被害を受けていただろう。
 そんな中で人々が傷付く事は当然と言える。そんな時の為に備えてあるのが医務室だ。研究所には医療魔法を研究する班もあるので、その研究班に従事する研究者達が交代で医務室を担当しているのである。

 研究所の医務室は、性質自体は言葉通りだが、医療魔法の研究施設と兼ねている事もあり、その広さと設備は医務室という言葉で、人が想像するよりはるかに大きく、本格的な医療設備が整っている。
 しかし、そんな仰々しい設備が役に立つのは、いくらありとあらゆる研究を営む魔導研究所でも多い時で三日に一度くらいの頻度だ。そのために、医務室の中は基本的に静かで平穏な時が流れている。
 ところが、今日はその静寂を破り、慌ただしく一人の急患が運び込まれてきた。

「ど、どうしたんですか!?」

 その日の医務室の担当であった魔導医師は、見た目からしてただ事ではないリクの様子に、驚いた様子を見せた。

「俺らも見てたわけやないんで、良う分からんのです。ただ、外傷はたいした事ないんですけど、やけに苦しがっとるんですわ。内臓も触った感じはまともですし、多分毒でも飲まされたんやないかと」

 カーエスが意外にすらすらと報告する。そう言えば、先ほどカーエスがリクの身体を撫で回していたようだったのだが、あれは触診だったのだ。医師免許を持っているというコーダならともかく、カーエスがそのような医者の真似事を出来ることに、ティタは少し驚きとは違った引っ掛かりを感じる。
 しかしそれはわざわざカーエスに問いたださなければならないほどの事ではなかったので、取りあえずそっちは置いておく事にする。

 魔導医師は、カーエスの報告に頷くと、自分でも確かめるようにリクの身体を調べる。触診をしながら、彼はカーエスに尋ねた。

「毒、ですか。薬品の毒か、魔法による毒、どちらかは分かりますか?」
「いや、そこまでは」

 カーエスが、首を振ると、すかさずコーダが割れたグラスの破片を差し出してみせた。

「毒の種類を知るのに役に立つかと思って、現場に落ちてたのを拾ってきやした。どっちが、どっちのを飲んだのかは分からなかったので、両方とも」
「お借りします」

 魔導医師は、コーダの手からグラスを受け取ると、助手に命じて、機材を持って来させた。円筒形の入れ物で、表面にはいろいろな数値を示すメーターが付いている。グラスをその中に入れ、幾秒か待つと、それぞれの数値が出て来た。
 その数値を見て、魔導医師は眉を潜める。

「科学的な数値は問題ありません。ただ、魔力の数値に引っ掛かったので、魔法毒ということになりそうですね。あとはおおまかな魔法毒の性質が分かれば解毒できるかと思います。でもその断定には少し時間がかかります」

 リクの様子を見れば、一刻も早い対処が必要である事は一目で分かるが、確かに薬品による毒と違い、魔法毒はおおまかな特製だけでも断定するのが難しい。機械に掛けて物質の割合を調べれば分かる科学毒に対し、魔法毒はいろいろな検査をして、その結果から推測しなければならないからだ。

「しかしそんな悠長なことをしとる暇ないのに……」

 呟くカーエスを顧みたジェシカが、何かを思い付いたように提案する。

「魔法ならば、お前の“眼”を使えば分かるのではないか?」
「そう言えばカーエス君の“魔導眼”がありやしたね!」

 ジェシカの発言に、コーダが嬉しそうに手を打つ。
 確かにカーエスの“魔導眼”は魔力の動きを肉眼で確認する事ができる。全く見た事のない魔法でも、魔導は理論に乗っ取って動かされているものなので、魔力の動きを見ればある程度どのような魔法なのかは分かるのだ。
 カーエスも同意したのか、賛同の声をあげる代わりに、いつも掛けている眼鏡を外してリクを見る。
 その瞬間、カーエスは背筋に寒気が走るのを感じた。

 いつもは、リクの身体の周りを滑らかに走っている白い魔力が、今は何かに汚染されたように赤黒く染まっている。
 血のように赤いそれを見て、カーエスは一瞬眼を反らしたい衝動にかられたが、それでもなんとか気を保ってそれを凝視する。

「これは、ヤバいで……」

 そう呟いて、カーエスは再び眼鏡を掛けた。
 説明を待つ全員から集められている視線を感じ、カーエスは大きく息を付く。

「これ、めちゃめちゃヤバいですよ。魔導を行うと、発動して、その後は魔力を動かす度にリクを苦しめとるんです。多分、リクは毒を受けた後、かなりの魔法を使うてます。毒を飲まされた後にあのダクレーに攻撃されたんやな。
 俺がヤバい言うたんは、魔法毒だから魔法でしか取り除けないのを、魔力に反応してリクを苦しめる性質を持っている事で、解毒を不可能にしとるところですわ」
「じゃあ……」と、カーエスの説明に、全員が顔をあわせる。

 しかしその先は誰も言わなかった。打つ手がないとは誰にも認めたくなかったのである。

「探すしかないスね。魔法を使わずに魔法毒を取り除く方法を」と、コーダが腕を組んで言った。
「でも、魔法は物理的な存在じゃない。無理ですよ」と、否定するように魔導医師が言う。

 魔法は物理現象に干渉する事ができる。しかし物理を介する魔法でない限り、逆に物理が魔法に干渉する事は出来ないのだ。これは完全に証明されている、原則と言ってもいいほどの事実である。

「でも、ここで諦めるわけにもいきません」と、ミルドが初めて口を挟んだ。「取りあえず、リク君の状態を安定させる処置だけでも施してくれませんか?」

 しかし魔導医師は再度首を振る。

「無理です。現在、患者はあらゆる魔法を受け付けない状態になっていますから、魔法による処置は一切取れません。魔法を使う以外の方法は、私は知らないのです」

 魔導医師は魔法を使って患者を救う。魔法は物理にも魔法にも干渉する事ができるので、魔法を使えば、大抵の怪我や病気に対応する事ができるので、それ以外の方法は知っていても仕方がないのだ。

「コーダ、お前はどうにか出来ないのか?」

 冷静を装いつつも、すこし焦りの滲んでいる声でジェシカが尋ねた。
 コーダも首を横に振る。

「俺はどっちかというと外科的な治療しか出来ないんス」

 コーダは魔法を使う以外の医療の知識を持って、カーエスの骨折した腕を診たことはあるが、確かに、骨折の治療は外科の分野にあたる。

「じゃあ、魔法と普通の両方の医療の知識を持った内科医が必要ってことか……」

 ティタが頬に手をやりながら呟く。そんな細かい条件に合った医者がエンペルファータ内で見つかるだろうか。

「心当たりがないわけでもないで」

 カーエスの発言に、全員が彼に注目する。
 彼は、コーダを見て言った。

「あのサソリ飛ばして、ある人を拉致ってきてや。嫌がると思うけど、無理矢理な」


   *****************************


「何!? ダクレーが殺されただと!?」

 恐れながらのドミーニクの報告を受けたディオスカスは、ドミーニクが恐れた通りに大声を張り上げた。
 彼の低く重い声は彼の執務室の隅々まで行き渡り、その音波で物を震わせる。その音波を直接向けられたドミーニクが一番震えているのは仕方のないことだろう。

「誰に殺された!?」
「詳細は分からないのですが、リク=エールであるという可能性が一番高いそうです」

 ドミーニクは精一杯身を縮こませながら答える。
 意外な名前にディオスカスは、眉を潜めた。

「リク=エール? カーエス=ルジュリスが連れ込んだ客の一人か?」

 資料の上ではあまり重要視されていない名前であったが、“ファルガールの弟子”という肩書きの関係上、ディオスカスは自然と彼の名前を覚えていた。

「その通りです。現場を見てきた者の報告によると、戦闘を行ったらしい痕跡が残されているとの事だそうで」

 その答えに、ディオスカスの顔はますます訝しげに歪められる。
 ダクレーは一応魔導士である事は知っている。しかし、その腕はたいした事がない事も知っていた。ダクレーが相手ならドミーニクでも十分楽勝できるだろう。
 それが何故、あのファルガ−ル=カーンの弟子であり、ファトルエルの決闘大会に参加して、その実力の大きさがほぼ保証されているリク=エールに戦闘を仕掛けるような愚行を犯したのだろう。

「それで、そのリク=エールはどうした?」
「意識不明の重態だそうです」
「何?」

 簡潔に返ってきた答えだったが、ディオスカスの怪訝な表情は深まるばかりだ。
 そんな彼の視線に気が付いたのか、ドミーニクが付け足すように説明した。

「リク=エールは現在、研究・開発室棟の医務室にて治療を受けておりまして、証言者の言葉によりますと、何らかの厄介な毒にやられたとか」
「毒……、か」

 その答えで、ディオスカスはやっと事件の一端を飲み込めた。
 つまり、何らかの手口でリク=エールに毒を飲ませ、彼から闘う力を奪った上で闘おうとしたのだろう。いくらダクレーでも毒に苦しむ人間になら勝てる。非常にダクレーらしい考えと言えた。魔法が関係しないリク=エールに毒を飲ませる手段なら、あの狡猾なダクレーなら幾らでも考え出せるに違いない。
 が、それは見事に半分失敗し、毒を飲ませたはいいが、返り打ちに遭って殺されてしまったのだ。

「しかし何故、いきなりリク=エールを排除しようと思ったのだ……?」

 その疑問だけは、どうしても出てこない。
 考えを巡らせようとして、ディオスカスは無理矢理その思考を打ち切った。今は原因を追求している時ではない。ダクレーを失ったことで発生する誤算を修正するために動かなければならない。

「ドミーニク。ダクレーがいなくなった事によって変わってくる事柄を挙げてみろ」
「はっ。まず、ダクレーは単独で“滅びの魔力”奪取計画に従事しておりましたので、まず、“滅びの魔力”は我々自身が手に入れなければならなくなります。次に、殺される前、ダクレーがリク=エールに何を喋ったのか分かりません。もし、リク=エールが計画の決行前に目覚める事があれば、今後に少なくはない支障を来す可能性があります」

 ドミーニクの考察を聞き、ディオスカスはふむ、と頷く。
 彼に、彼なりの考えを述べさせ、それが自分の考えと同じならば、その考えを第三者的な視点から見直し、違っていれば、自分の考えと比べる。これは、ディオスカスが何かを考える時に必ず行う事だった。経験から、この方法の方が考え逃しをする事が少ない事を学んだからだ。

「確かに、“滅びの魔力”を奪取する計画はダクレーがいなくてもどうにでもなるかもしれん、しかし問題は後者だな。確かにダクレーがべらべら計画の事を喋っていれば、邪魔が入る事は確実だ」

 ダクレーの事だ、必ず殺せると確信していれば、冥土の土産とばかりに計画の事を喋っている可能性はある。そしてリク=エールは殺されかけたからには、ダクレーの話を冗談にとってくれる可能性は皆無に等しいだろう。

「それでなくても、リク=エールが殺されかけた事により、研究所は事件の背後関係について調査に乗り出すに違いない。そうなるとどこからボロが出るか分からん」

 ディオスカスは、顎に手をやりながら大きく息を付くと、仕方がないとばかりに言った。

「ドミーニク、全員に確実に伝達しろ。本日白の刻(正午)に計画を始動する。特別な指示がない限り、予定通りに動け、とな」

Copyright 2003 想 詩拓 all rights reserved.